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2024/03/28 21:58 |
地と天の間
自分が自分であることを決定する何かが想像されて、わたしは余計に億劫になった。
社会にはもう生きてゆけるじしんが無い。
 
自殺の方法を考える。日野啓三の短篇で主人公が、一定の名声を伴った自身の安泰の生活、境遇を見捨て、山の上のホテルの敷地内で入水してしまう話がある。その行為にいたるまでの意識の、徐々に鋭敏になっていく様を、彼はうつくしく描き取っている。また、本物の入水自殺者の心境に迫っているところがあるとすら感じられる。ホテルで出会った女にたいする微妙な態度は、そのなかでも印象的だった。死人は語らないという件は述べるつもりはない。ただし、あまりに美化されすぎていて、自殺の参照にはなりえないと断言してしまいたくなる。実際に自殺をした人間にその方途を聞く方がずっと現実味があるし、迷いや恐れなどの無様な心境を知ることができて有益である。また日野の小説は、人と違ったことを言いたいという念に支配されていて、非常に醜い。「世界の理解に乏しい。貴様の気づかぬところには確実に、小説の骨頂があるのだ」とか、「真に内面に迫る方法を手繰り寄せた結果なのだ」とか、自分の安易と思われる断定が批判されても仕方ないことは知っている。幼稚だと馬鹿にされるのは知っている。しかしそんなことは、仕方がない。いつからか、わたしには世界を理解しようという精神力はすっかり尽き果ててしまったのである。
そんなことを述べたのも束の間、やはり自分はよくわからない自殺がしたい、と思い始めている。残した知人に、「あいつは貯金が無くなって、将来性を感じられなくなって死んだんだ」などと片付けられてしまうなら、本末転倒だと思ってしまうのである。当人を死に至らしめた内面を勝手に思い描くだけなら許される、ただし発表をするとなれば失礼にあたるではないか。しかし結局は自分の内面とはその、描き取った程度のものでしかないのであり、自分の死は、世に対してけっきょくこの程度の影響しか与えられなかった、と悔みながら死ぬことしかできないのだ。わたしは何か崇高なことを考えられる人間ではない。非常に世俗的な、なんら普遍的でないことで悩み、苦しみを覚え、死への思いをひそかに増幅させているだけである。
だがやはり、描き取られたくはないのである。せめて、あと一年の内に起こりうるであろう、世間から認められるだけの成果を待ってから死にたい。いや何が「起こりうる」だ、自殺を臨み見るくらいの人間というだけあって、大した能力もないではないか。もはやわたしの生活は、社会との関係を切除された、唯死への思いだけが堆積されるアルゴリズムとしての構成を内に規定することを余儀なくされた、地にも天にも足のつかぬ宙ぶらりん、――さあはたして、面白く読んでいただけたであろうか。べつに洒落だと言って締めくくるつもりは、毛頭ない(冴えない新聞の切れ端のコラムのようになって反吐が出そうだ。気持ちの悪い内容を述べること、稚拙な技巧に走ること、止めよ。直ちに息の根を潰したまえ)。
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2010/03/23 16:13 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
無タイトル
室内の奥へ奥へと差し込む太陽光線。冷たい窓と部屋のあいだに佇む、温かいやさしさに触れ得る時分、絨毯の凹凸のひとつひとつに影が落ちて、いよいよわたしの想念は幼少のころを好んで離れようとしなくなって居た。温かい眼に見守られながら、わたしは外を凝視めていた。景色の一つ一つの移ろいを、それは唯々機微であって、外の子どもたちが好むようなデパートの屋上の活気とは全く相異なるものだったのだけれども、何かに憑かれたかのように視線を定置して、辺りが暗くなるまで見届けていたのだった。まだ遠くまで見える両目で葉の褐色がかった色合いを、その落ちていく様、または、冬の鳥がたのしそうして居るようすを、一日一日記憶の底に落とす所までやっていた。夕方になると母親に淹れて貰ったコーヒーをテーブルですすって、その場所からまたベランダ越しの景色を凝視めた。倫理的に正でも負でもない。向上心の観念がはく奪された、ただ温かい、惰性の世界に根を下ろしていた、否。幼き少年の知らず知らずの間に暗闇は辺りを包み込んでいたのである。夕暮れではない、何か不気味で、回帰することを赦されない大きな傾向が、そこに横たわっていた。
彼は、幼きままに育った。その証拠に、またこの時期になって、まるで毒気のないその温かさを、無邪気に手に取った。頭では分かっているが、もはや心は容易にはそこを揺り動かない、固着した塊と化していた。「心安らぐ場所だ」、と同時に無論、それは非常に、厄介な場所ともとれる運命を背負っていたのである。
ああ、まわりの人間の顔が、みんな同じに見える。恥ずかしい病気だ――、いつからこうであるのか。誰に問いかけるでもなく、むかし熱中した音楽を、看板のくたびれた店で探した。あの時捨てて何年も気がかりであったCDを、また買い戻した。たちまち心は満たされて、そのあとに歩いた道は、日が暮れるまで過ごしたあの故郷の山へと引き戻してくれるような期待にさえ感覚を打ち付けるのだった。部屋に戻ったとき、外は真っ暗になっていた。やがて盲信は無言で何に構うことなく崩れて、あらゆるものが徒労感に立ち替わり、彼は苦しめられた。無様な顔をして、また明日の朝に淡い期待を寄せる。嘲笑が耳の中を反響した。世間は明るい徒党を組み始めていた。そんなことに胸を重くし、ただ彼は、記憶がまた甦るのを薄弱の思いで待つのであった。

2009/11/06 23:43 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
無タイトル
「人生ゲームをしよう」とW君が声をかけて始まった。ぼくは大学を出て、サラリーマンになるも、借金、借金、家を売り払い、それでも、ゆっくり前に進んだ。ぼくが困難に見舞われていると8人の友人は、もうずっと前に居て、ゴオル目前。とても楽しそうにゲームを為てぼくもそれなりに進めていたから終焉をも見越していたし特に悔やむこともなく、サイを振った。順風満帆であったはずの50の誕生日にぼくは、自らそのマスを踏んでふりだしへと戻ってしまったのであった。あれは人生ゲームではない、双六であったか。「たにんにかんしんをもてばいいよ」と、助言をくれるものがあった。
ぼくは部屋の中ひとり。そのゲームを続けて、終わるまで繰り返した。ともだちはみんなそんなぼくに付き合い飽きて、外に遊びに行った。かれらは交流を深め、知人を増やし、下らない会話、ともすれば生活哲学を議論して、恋愛をして、好きな職に就いて、じぶんの好きな将来を語り合った。ぼくは日が暮れるまでサイを振っていた。
 
 
――違う、真摯に対峙していたのは正しくわたしで云々、一同一笑。皆さんもこんな話に付き合っているようでしたらご退屈でしょうから、此れにて御開き、と立ち上がる群衆のガタンという音に包囲されて、眼球は一点の居場所を貪ろうという義務につかまり、なけなしの社交性を周りに振り撒き、いやあ残念でした、次回は成長して、と内では上下左右の基軸はすでに乖離、気づけば電車がくるのを待っていたのです。急停車。神が存在しないことを示したあの日を懐かしんでいたら次第に嫉妬心に変質しゆくわたしの魂が、駄文。何か悩ましい顔をしたある少女が、面白い漫画なぞ読んで手の裏返すが如く笑顔を溢すのを人は、偽善であると叫ぶが其れは誤解で、少女の心はある楔を深くに打ち込んでいて、取り除こうとしても容易なものでもなく、永久に表面的な享楽に打ちひしがれる他ないことを示していて、だからと言って実際うまく掬い取ったとしても其れは少女が元の少女に統一されることは生涯体験されうぬことを含意しており云々、ふっと活字から顔を退け、分からないなあと戯言を吐いた貴様の醜き面容、焼き付け、我は墓場までその悔恨を忘れぬ積もり。分かると自慢げに即答した貴様、其の嫌らしい肺に、奴隷ども、幾本もの火矢を沈めにかかって殺せ。直ちに殺せ。
もし神がいたとするなら、この世界にアルゴリズムを最初に与えた存在であるそうな、とわたしは過去にそう聞いたことがある。論理的な骨格をあらゆる生命に寄与して数億光年、それが氾濫をおこして居るのが今日の現状であるが故、わたしたちはよく分からない議論によってその自己を保持して居るにすぎず、あらゆる「生産」「非生産」にただ一喜一憂するのみなのだという。存在するか否かも実証されぬ人生に或る観念を投じて、いかによく生きるべきかについて骨折り迷走を続けるのである。それを理解すれば、皆さんは何が無意味なことであるかについて重要な見地を与えられたも同然です、と奢り高き奴隷の鳴き声、ノイズのように映像に交じり、やり直し。やり直しと、佳作に成った。
馬鹿を云え。神の地位を確信する者は皆、人間の地位から堕落してゆくのだ。ぽかんと大きく広がった落とし穴に身を投げ入れて、抽象的な宇宙を醜い魂のかたまりが鈍く落下、速度を増す姿、時間を数えても位置が知れる気がしなかった。何一つ新しい発表で無い。余計に醜態をさらして何が嬉しい。目出たき人間を演じるな。
工面をして喋繰る、健康なパッションを探るも検出とならず、唯己とは相違する人々の非難の声を届き入れ、無様な顔をだらしなく、表出、薄ら笑いで、人格崩壊者を演じる、此の歴史。経歴。口述史。人類の徒党を組んだ、と思えた或る晴れた日の白昼、駅の安い喫茶での出来事は、悲鳴をあげて崩壊、わたしは無様に其れを凝視めるだけで、包丁を首にジリジリ近づけて、ウー、ウーと崖から落ちた獰猛な獣の惨めさ、凄まじく嫌悪を催す声、足並みを揃えない貴様の天命、と兵隊は銃を突きつけ、パァンと静寂の森に響く音、「岩に染み入る蝉の声」と異様の文句が口をついて出て、その子どもは立派な政治家さんに成ったんだって。よかったよかった。「Aくんはもっと、ひとにかんしんをもてばみちをひらけるよ」。
気持ちが分からないでもない、と呟いたら、あたりは騒然、ご同行願いますと声がしたのを探して右向き、左向き、なんだ幻覚か、と悟ってペンチでやったらグシャリ、真実みを得て、有名人。

 
偏見を罵倒したはずがもはや謬見に支配された情念が身体に息づき、正論が何も言えぬ、打算的にもなれぬ、正攻法にも身を投ぜぬ、のっぺりとした信念を纏い、社会的な理想と高次元の理想の葛藤が押し寄せて茫然、真摯なる、なけなしの態度も忘却して、無気力的に、ともすれば生気すら喪失して居る、その人間は帰途を見失って居た。勝利の名誉に与らんとする虚栄を見せる愚者の浅薄の姿。堕落を尽くして最期を待つ。
――ああ寝ていればいい、全てを投げだして。貴様は眠ればいい。 

2009/06/21 08:32 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
無タイトル
発作。また信念を打ち棄ててしまった。否、するすると手から離れてしまった。愚かな奴隷。表現に凝ったところで、結局は何が良いか分からなくなる。なんら生産的ではない。生理的な現象や、呼吸があるだけである。誰が自殺の決断に如くはなし、と呟いている。人間らしい行為はなにひとつ出来ない。ぎょろぎょろ、ぎょろぎょろ、と人の目に欅の根に疑念を投じて、ただ、苦痛の終わりを待ち侘びるのである。

「窓の向こうに木はありませんから、葉が落ちる心配は無用なのです。ただあの広大な、感情豊かな空と会話をするだけで時間が経ってくれます。或る日、あなたは今にも出かかった、夢という言葉を押し殺しましたね。もしかしたらあなたは勘違いされていて、わたしの将来に同情してくれたのでしょうが、実はとくに悩ましいものでもありません。むしろ、あなたのような将来の成功を祈り続ける者こそ、なんとも無残な面容で余生を生きぬく他ないのです。つまり、救われていないのはあなたの方だとわたしは心得ます」
 
シンプルな駅。見渡せば線路、見渡せばホーム。人がぽつぽつ。がらんと空いた屋根のひきずる、陰鬱な影。鳩が飛んできた。わたしには見えない餌をついばむ。ひとつひとつを、午後の記憶の固着した印象が包んでいる。だれもが、物質的な立場を醸し出している。
其れも此れも、電車のくるまでの景色。
さようなら、と訊いた。

「ベッドに横たわる人間が優れているなんて、そんな話はどこにあるものか、とお考えなんでしょうか。あなたは、はやく理想を破棄された方がよろしいかと思います。それだからたびたび、捕虜の身のような絶望の表情をとる以外に術がないのです。あなたは、窓の外に視線を向けられた方がいいでしょう。あしたは晴れになるかと思いますから」

2009/05/15 23:03 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
無タイトル
全能感は、ありますが、不能感の感覚と代わる代わる、顔を出します。ただ、偉人のそれのように、高く思われ、なおかつ実現可能に違いない、目標を掲げた折に垣間見る、または薬の包装が偶然、奇麗に反射するほどの眩しい朝の日の、旅立ちに胸が躍る折に現われる、強い望みに裏付けられた明るい挑戦、ではございません。理由を見つけるように言われてしまうと、すぐに閉口してしまいます。ただただ脆弱で、発現予定も定かにならず、自分でも本当なのか、区別がつかず、つかまえるとすぐ翅がぼろぼろ、と崩れていってしまいますが、一瞬の間、心地よい感覚で溢れだす、その程度のものなのです。
あらゆる方法はわたしの手のうちにありました。では、アイデアは疾うに出尽くしてしまったのでしょうか。つまらない冗談は本日で終わりにします。実は、すべてが虚偽をはらんでしまったのです。草木や花が、何もかも、ひとつとして残らず、真実では無くなりました。もちろん罵倒があとにしたがいましたが、虚構の世に飼いならされた彼らに嘲笑われるのには、なれました。さほど覚悟はありませんでしたが、それでも良いように思います。
 
わたしは、私の真意を知った母親に、ひどく悲しまれました。どの階層で悲しむのかとしばらく見つめていましたが、はたして自分でもどの階層にあったかと悩み出してしまいました。もう幾分か待ってみて一つ気がついたのは、古巣にあった空気感が甦ってきたということです。これも一瞬の出来事でした。

2009/03/08 16:52 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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