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2024/04/19 06:14 |
大学時代
気色悪い。意志を備えぬ声。信念とは、相対する、若しくは、少しも関連性を言い当てられない。言葉。ギプスが外れないのか。残念だな、貴様は。生涯リハビリとは悲しい、醜態しか見せられぬのか。光に手を伸ばして、届かぬ思いに気づかぬ体裁で、偽善者らしい面容ちもて、なけなしの慰めを集める人間、古人の真似事に終始して羞恥心に苛まれる徒よ。残される光は、澱んだ其れ、唯一つ。
 
――こんにちは。今日もよろしくお願いします。まず、チェックシイトを渡しますね、どうぞ。先生、さっき家の近くのベンチで、黒ネコを見つけたんですよ。彼は僕が小学生の頃からこの地域に住みついていてですね、そのころから僕のことを近くから、遠くから見守ってきてくれたんです。ぼくは学生時代、同輩に恵まれなかったわけではないんですが、いま振り返ってみると、一番ぼくのことを分かってくれているのはその黒ネコである気がするんです。ごめんなさい、嘘です。さすがに僕でも、動物に複雑に物思いする機能が備わっているとは思いません。しかし、さっき彼がぼくにいつも通り懐いて、マーと声を出してくれているのを見て、ぼくは何だか、気を落ち着けることができました。そこにあったのは、人間相手では絶対感じることができない、情緒的な繋がりだと確信しています。あ、ごめんなさい、話が逸れました。せっかく時間を取ってくださっているのに申し訳ないです。
 
 
 
 
廃頽した倫理志向。元々、報われない性分なのである。一人の人間が為ることが、革命の効果を生む思想、子供染みて涙が出る。大して打ち負かす努力も無しに、何をうることに敵うか。転覆願望のひとり歩き。何より断片的な思想に、足をすくわれて居る。さまざまな悩ましき思念に捕えられ、床に入る度に薄気味笑いを浮かべ、自我分裂者の顔色して勝ち誇る、悲劇を演じる奴隷。隠していた積もりが、相手を前に一角が垣間見える。爪が甘いよ。それだから理想世界と、わたしのいきる現実と、数々の偉人の思想が、ばらばらに泳ぎ始めていくのを、術を忘れて、又は無知のポーズで、呆然と眺めた姿で幕が閉じていくのである。すべてを諦めたときに、その姿は、わたしのもの。暮し易い場所に生を受けてこれか。
先生、ぼくといっしょに新しい世界を築きましょう。まずは、妄想的な地位に取り憑かれた彼らを、意味の分からん強者を、迫害するのです。愉しい毎日になりそうですね。
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2009/02/12 16:29 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
大学時代

初日の出を、富士山を背にして向かいの山の端に臨んで、友人の車で帰った。乗り物酔いし易い私は、ひだりの後部座席で寝させて貰った。誰にも言わなかった。だから、心地よい運転に身を任せたと思われたかも知れないし、ひとりにばかり運転させてと根に持たれたかも知れない。御殿場だったはずなのに、気がつくと、家から数分の神社であった。客の群れで煮えくり返っていたため諦めて、自宅前で降ろして貰った。

丸一日またいでの帰宅であった。疲れていたので寝たかったが、努力した。学問芸術論が途中である。机を照らして、休み休み読書した。長く続けたのでやがて日が暮れて、本を中止して、2日ぶりの風呂に入って、水で体を流すだけした。浴室を出たら冷食を温めた。

テレビを見た。床に布団を敷いた。きりのいい所まで読書した。もう少しテレビを見た。

 

勝利の根拠の不在。帰属意識を失くした者の愚かさ。娯楽の観念の放棄。社会を疾うに探究してしまったのだ。いつかは再構築するつもりだった処世術は、実はもう調べ尽くしていた。幻想的地位に群がる諸々が奴隷と分かって嬉しかったわたしは、それに拘束されるばかりに無力に震える線と化していたのである。また始まった。貴様は怠惰に貪るな。抽象の世界に甘んじるのを禁止してしまえ。ああ、何とも説得力を備えない声。よく分からない思念のために全ては色褪せる。ついこのあいだ結論した理想も、有意義な将来とあんなに歓喜して迎え入れたのに、魅力的な色彩を失ってしまった。何一つ愉しくない。努力せずとも湧いてきた情熱は今では、身体のすべてを隈なく探しても、見つけることが出来ない。

 

 

胸の不快感を拭い去れぬ焦燥感。全てに負の傾向を与える世界が、室内を超えて真っ暗な夜いっぱいに不気味な膨張を始めた。どうすることも出来ない私は、その空間の異常さをさしおいて、意識が遠退くのをただ待ち侘びた。もちろん、目を瞑るだけであった。

 


2009/01/03 23:40 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
大学時代
天気がいい。何事もない日常を愉しんでいる群衆のもろもろ。その中を、決して正しくない恰好で突っ切ろうとする人間の愚かさ。俗世を捨てた積もりで数年間を暮らしていた。何一つ正しいと断定できない歯痒さを厭ったのである。バスロータリー、笹崎くん久し振りの声、聞こえるほう身体を向けては、おどおどした様子であり親しみを入れ誤ったゆえの殺意の表情。その後互いに閉口して、一切の言葉を交わさず。他愛もない話をしては知り合い関係を嗜む彼らは、その無邪気さゆえに羨ましくもあり、人間の憂いを見ては幻想と気づいてはっとする。窓側の席に座ればすぐさま小説に、ずぶずぶ浸る。ある種、完全なる逃走劇の一端。しかし侵食も束の間、降りてくださいお客さん。ああ、また現実を取り戻してしまった。うろたえて外に出る。やはり、天気はいい。
もはや私は、なけなしの語彙で何とか表現しようと必死なのだ。己を満足させんと励む日々は、あと何年要すか。辞書を見て、毎日ことばの勉強をする。その将来、虚無感に苛まれている暮らしも、もはや時間の問題となってくれる。ああ、また嘘を吐いた。学びが鬱積を取り払うものとは、到底信じられない。しかし、何で満たされたいとも分かった訳ではない。今は向上心の宿る人生を送りたいと、取り敢えず思うことにした。会う人会う人、みんなに言ってあげた。きぎょうに半生をささげるのはまっぴらだ。ぼくは、いきているあいだに何かひとつ、きわめてみたいんだよ。ひととちがった、なにかひいでたことを、したいとおもってね。
洗脳されて「真実」を見出す瞬間があればいい。そんな本日の宣言である。
けっして後悔を包含させたつもりはない。
むしろ、いややっぱりやめる。吐き気がした。
 
ああ、よかった。きょうもいい天気である。

2008/10/25 01:25 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
大学時代
「なんか、先生怒ってたよ」
友人は、会うや否やそう言った。ある放課後の出来事。
 
 
わたしは委員会の仕事があったのだが、何の躊躇もなく休んだのだ。その行為に、とりわけ思想をこめた覚えはなかった。学校に反発したかったとか、自分の真面目な気性に嫌気がさしたとか、そんな思いは全くなかったつもりである。友人のことばを聞いて、わたしはすぐ職員室に向かった。3年間も担任をして貰った先生に、嫌われたい訳がない。
職員室には早々と着き、わたしはドアを開ける前に、心の準備をした。担任の怒る顔は、頭の中にすでにイメージできていた。だが、数センチ開けた隙間から覗いた職員室に、担任はいなかった。
今振り返れば、その後わたしはまっすぐ家に帰るはずであった。普段のわたしというのは、ここで満足できるというか、翌日まで機会を見送ることができる。明日でも大丈夫だとか、欠席なんてたいした事でないとか、完全ではないにしろ冷めたところが私にはある。
しかし次の瞬間、わたしは走り始めていた。全く、わけが分からなかった。気づけば、階段を2段飛ばしで駆け降りて、昇降口を出ていた。靴をはき替えたかどうかも分らぬままである。
明日ではなく今日、先生に会わなくてはならない。そんなことを一心に考える自分がいるのである。何かひとつを目指す自分は、一体いつぶりだろうか。わたしはまるで、体の中心から指の先まで、その思いでどろどろと占有されているような心地がしていた。
何処にいるなどとは聞いてもいない。
にもかかわらず、先生の居場所を、
どこかの駐車場や、デパートに見つけようとするわたし。
占有物はいつしかわたしに涙を流させていた。
信頼を失くすかもしれない自分の行いへの、後悔の類いか。めでたしめでたし。
 
 
ああ、また発作だ。癖のある一文で終わろうとするのは良くない。それとも、予定調和的にかねてから決めていたことなのだろうか。何にせよ、自分の恥ずべき性分である。あああ。いったんはつまらぬ論理を通した「涙」であっても、やはり不満が残って放置が出来なかったか。
なあお前、お前はまた自分の現状を悲観したいんだろう?わざわざ夢の話なんぞ引き合いに出さずとも、分かるのだよ。身勝手に欠席をする自分、御免なさい、と釘を刺すことで、自分の社会不適合を許されようとするなんて、とんだ誤り。ああ、自分は変わってしまったなあと物思いに酔いしれる暇があるなら、さっさと習い事なり何なり始めればいい。あの頃とは変わり果ててしまった自分を、悔恨する涙。決して担任の信頼を求めようとする涙などではない。
 
 
わたしはすでに、目を覚ましていた。ふと瞼に触ってみれば、少し濡れていた。ああ、また嘘を吐いた。なみだは夢の中の出来事。微笑ましい中学時代の夢であったが、心地の良い余韻など皆無。残るはただ、今の自分へのいきどおり。先生と会えたのかが気になって、二度寝をした。けれどもわたしの前に、同じ夢は現れなかった。いや、覚えていないだけかも知れない。ただそうだとしても、わたしは先生をずっと追いかけ続けているような心持ちがするのである。

2008/10/25 01:23 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択
大学時代

ああ、また虚無感に襲撃されてしまった。

 


今回は何の御用ですか。

 

人との繋がりを阻んでいる私がいけないんですか。

それとも、再受験といった目標を欠いてしまった私を責めたいんですか。





 

学生と言うのは、どうも自由人に近い感じのイメージでした。

 

社会に縛られないで、自分の好きなことができると思っていましたから。

だから、好きなことが見つけるのが上手い方は、きっと充足するんでしょう。

 

端から見たら、わたしはさぞかし勿体ない生活の使い方をしている。

 

時間がたっぷりあるんだから、つまんない面容ではいけないよ。

ほら、もっと若い人みたいにエネルギーを出してみて。



 

私は知りません。あなたたちみたく、何も知りたくはありませんから。

 



 

何も考えずに生きていくのが恐怖なんです。それは一種の私の傲慢さの表れです。

 

それは、境界侵犯への憧れでもあります。根本的な隠遁願望もあります。

華奢な自分を強く示したい所もあります。困った時の立場づくりでもあります。

自分の数値を悟ることへの引け目でもあります。尊敬する偉人の猿真似でもあります。

成長への諦めでもあります。断片的な思想でもあります。

あだなき希望的観測でもあります。気色悪いナルシシズムでもあります。

命日に向かう過程でもあります。破壊的イメージによる統制でもあります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はよく嘘をつく。いや、というより、わたしは常に嘘をついている。

 

それも違う。わたしは、自分の言うことが真実か否か、何時も分からない。

しかし、頭から全て嘘だと断定してしまう方が、私には心地が良い。

世の中のすべての行いが偽善であると悟った方が、生きる気力が湧く。

 

そんな居心地を求めて、思索はいつもこうやって終焉させたいのである。

 


 

虚無感など嘘、もうすべて。真赤な嘘。

 


2008/07/31 13:50 | Comments(0) | TrackBack() | 未選択

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