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2019/12/14 08:18 |
無題
来週の予定。まずは、部屋の片づけだ。わたしには自分だけの部屋というものがなく、ただじぶんの机をおかれた、夜は隣で父が布団を敷いて寝るその部屋が、わたしの部屋となっている。その部屋を散らかしている本質は、大学や就職のあらゆる書類と、小学校から延々と溜まっていった教科書の類と、夏物と冬物の出っ放しの洋服と、そのほか種々の思いでの諸々だ。「思いでの諸々」とはたとえば、小学校の時に担任の先生が配布した三浦海岸の珊瑚礁の一片から、高校のときに描いたじぶんの肖像画まで、いろいろある。ともかくわたしはまず、それらを片付けなくてはならない。
次にすべきは、人件としてのわたしにまつわる、さまざまの処理がある。わたしは少なくとも、世田谷でクリーニングの品を扱う店でアルバイトとして雇ってもらって居る。そこへ、電話かなにかをして、長期の休暇をとることを告げてこなくてはならない。辞めてくるのがもっともすっきりとしているのだけれど、どうも気負いしてそういうわけにはいかない。また、気分が変わって潔く、辞めてくるかもしれないけれど。あと、大学の退学手続きの方法を調べてみたら、どうやら、親の同意が必要らしい。学費を払っているのはどこの家庭でもたいてい、親であるし、と理屈をその一瞬でつくったら、苦しくなった。わたしを今まで育ててくるまでにかかった費用と手間を、ぼんやりと思い浮かべたから、だろうか。
来年の4月から内定をもらっている、S高校にも断りの電話を入れてこなくてはならないけれど、どうしよう。3月になって内定者に電話してみたら、いません、となれば、とんだ迷惑には違いないから、わたしは何とかしなくてはならない。この部分にかんする問題は、わたしが親との会話を再開して、親に内定先のことを話しておけば、解決するのだろう。数か月話してこなかったのに急に、親との会話を再開するのはとても難しく思われるけれど、最低限の会話をできるように、なっておかねばならない。
わたしの人件的な問題の処理は、これくらいだ。あとは、何があるだろう。あとは、あとは、と考えてみると、とてもでないけれど、来週では終わらない感じがしてくる。どの考え方に落とし込むのがいいか、わたしはまだ検討していない。たとえば、人と分かり合うことについて。最後まで、誰かと分かり合えることを信じて、暮らしていくのか。それとも、誰かと分かり合えることなんて、有り得ない、と諦めてしまうのか。いや、違う。もともと、人と人は分かり合えないことなんて、知っている。たとえばある二人が、手紙のやり取りをして何らかの情緒的な結びつきを感じたとしてもそれは、錯覚にすぎない。会ってみたら、お互いの言葉のトーンなどにおける、日常的な様々の習慣の違い、それどころか、じぶんの人間としての能力の欠損。相手によく思われようとして、態度が頑なになったり、もしくは、じぶんの声の低さ、人間としての魅力の無さを思い出したりして、何一つ、打ち解け合わない歯がゆさ。だからもともと、わたしと相手は、分かり合うことがない。そんな現実的な壁の諸々を超えて、二人の愛がある、といった抽象的な考察も、いまどき流行らないだろうから、やはり、わたしと相手は、分かり合うことがない。だから落とし込むべき考え方の選択肢としては、そのような不可能性の問題があるという前提で、じぶんの欲望に優しくしてやるか、あるいは、冷たくあしらうか。ほんとうに、あまり現実的でない対立軸だと思う。わたしはわたしの欲望を、どうすることもできない。何の指針も失って、わたしはその都度、わたしの欲望を冷笑したり、絶望したりいろいろ、するだけなのだろう。こう考えてみると、わたしは最後までじぶんの暮らしをよく暮らしていける才能に恵まれていない、気がしてくる。数週間、どういう考え方で暮らせば、いいのかしら。
わたしはあと、わたしの最後をどうするかについて考えなくてはならない。場所は、方法は、と考えなくてはならない。けれども、わたしには生活の指針が失われているのだった。それでもなんとか、と考えてみるとやはり、家で死ぬのは最悪。以前おもっていたのは、冬の山。宇宙の厳かな、原始的な景色に抱かれて、と思っていた。しかし、かわいそうなことに今は、油蝉の鳴く季節なのだ。今の時期に似つかわしいもの、熱中症だろうか。しかし、場所はどこだ、この夏に冬山のような、宇宙のかち、かちという音が静かに響く原風景が、どこにあるかと悩んでいたら、きっと、おまえは死ぬのが怖いのだろう、と誰かににやにやされる気がして、やりきれなくなってくる。冬であろうと夏であろうと、水分を摂らないで死ぬことに、まちがいはないのだ、とわたしはわたしを力づける、独り言を溢した。誰かに気持ち悪い目で見られているのを感じた。
まずは、母親と会話をして、と結論しようとしたけれど、ほんとうに、「まずは」なのかしら。その次は、部屋の掃除をして前後関係を良しとするのかしら。終点は、どこにあるのだろう。さいきん、この価値相対主義の世の中じゃゴールはないけれど、各人にはゴールが必ずある、という殺し文句を思いついた。教員として現場に立った時に使える美しい言葉であるとか、そういう発想で思いついた言葉なのだけれど、はて、わたしのゴールは一体、どこにあるのだろう。わたしは最後まで、わたしを生きることができるのだろうか。わたしは、わたしは。気持ち悪い。
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2010/08/21 22:07 | Comments(0) | TrackBack(0) | 未選択

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