学校がここまで厭わしいものとは思わなかった。
勉学が他の学校より苛酷なことは知っていた。私はむしろ、その厳しさを欲してここに入学した位だ。大学受験で失敗するつもりは更々なかったし、その成功に至るまでは一年からの努力がモノを言う気がしていた。もとより努力が「容易い」ような学校が良かったのである。
それゆえ、学校を厭わしくするのは厳しい御勉強ではないのだろう。
私を苦しめるのは、人かも知れない。
それは、ある特定の人間を指してはいない。
学校を通して出会ういかなる人間が鬱陶しいのである。
だが、かれらは暴力を振るうわけではない。かれらは世間が認める常識人であるので、口ならまだしも怒りを力に任せる真似はしない。だからといって、かれらを無視の好きな集団と捉えるのも間違っている。私は無視何かされた日は憶えていない。
では、かれらは私に何をしていると云うのか。
何もしていないのである。
どんなに記憶を掘り返しても、自分とかれらの間に何かが起きているとは思えない。
そうした記憶が皆無なため、厭な記憶をでっちあげるにも難解だ。
かれらとは何も起きていない。
ただ普通に触れ合う以上でも以下でもないのである。
なのに、どこかが今まで自分の出会った人間とは異なる。
これ程までに私を苦しめる人間は中学までいた覚えがない。
然し一体、何を以て私は苦しめられているのだろう。
何故こんなにも帰りのバスの中が心地よいのだろう。
あと一年半も持ったら私は僧になれるかも知れない。
PR
トラックバック
トラックバックURL: