電車内にて。わたしの手と偶然接触したもの、わたしの小さな肩へもたれ掛るもの、そのような対象の諸々に、気持ち悪いでしょう、わたしは錯覚した愛を、感じている。たましいに日常を休む暇はなく、底なしの焦燥、もしくは空虚をもって、わたしをつくっているのである。錯覚した愛を感じているだけでない。わたしはその対象のすべてに立ち会う度に、じぶんのかなしい未来を感じていちいち、絶望している。
今日、父親と久しぶりに話した。彼は、わたしを、機嫌が良くなってよかった、と評価した。口をまったく開かなかったわたしが、よく話しだしたのを見て、そう評価したのである。
すべてがうまくいく一瞬、その一瞬だけを見逃さぬようにして、その一瞬を迎えるまでわたしは、何食わぬ顔で生活人を演じたい。しかし今日、アルバイトの登録でであった青年と話をしているときに、悲しい序列を突き付けられた感じがしてもう、だめな気がしたのである。万が一、今後、突き付けられたそれをやり込められるようになっても、わたしは自宅で薄ら笑い、我慢できるかしら、と考えたら、いつの間にか、暗い底への落下をもう始めていた。
林を縫う狭い小道を自転車で走っているとこのまま、暗がりの深みに飲まれてしまうか、幽霊に連れ去られてしまうか、されてみたくなって、たまらなくなる。闇の中を仄かに白く横たわる、川のごうごうという流れがにわかに氾濫しだして、というようなものでも、構わない。そうして、市役所の書類どころか、ひとびとの記憶からもわたしにまつわるすべてを、すっかり流してしまって、というつまらない想像をしていると、わたしの家はもう、そこまでやってきていた。
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