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2020/03/29 12:12 |
地と天の間
自分が自分であることを決定する何かが想像されて、わたしは余計に億劫になった。
社会にはもう生きてゆけるじしんが無い。
 
自殺の方法を考える。日野啓三の短篇で主人公が、一定の名声を伴った自身の安泰の生活、境遇を見捨て、山の上のホテルの敷地内で入水してしまう話がある。その行為にいたるまでの意識の、徐々に鋭敏になっていく様を、彼はうつくしく描き取っている。また、本物の入水自殺者の心境に迫っているところがあるとすら感じられる。ホテルで出会った女にたいする微妙な態度は、そのなかでも印象的だった。死人は語らないという件は述べるつもりはない。ただし、あまりに美化されすぎていて、自殺の参照にはなりえないと断言してしまいたくなる。実際に自殺をした人間にその方途を聞く方がずっと現実味があるし、迷いや恐れなどの無様な心境を知ることができて有益である。また日野の小説は、人と違ったことを言いたいという念に支配されていて、非常に醜い。「世界の理解に乏しい。貴様の気づかぬところには確実に、小説の骨頂があるのだ」とか、「真に内面に迫る方法を手繰り寄せた結果なのだ」とか、自分の安易と思われる断定が批判されても仕方ないことは知っている。幼稚だと馬鹿にされるのは知っている。しかしそんなことは、仕方がない。いつからか、わたしには世界を理解しようという精神力はすっかり尽き果ててしまったのである。
そんなことを述べたのも束の間、やはり自分はよくわからない自殺がしたい、と思い始めている。残した知人に、「あいつは貯金が無くなって、将来性を感じられなくなって死んだんだ」などと片付けられてしまうなら、本末転倒だと思ってしまうのである。当人を死に至らしめた内面を勝手に思い描くだけなら許される、ただし発表をするとなれば失礼にあたるではないか。しかし結局は自分の内面とはその、描き取った程度のものでしかないのであり、自分の死は、世に対してけっきょくこの程度の影響しか与えられなかった、と悔みながら死ぬことしかできないのだ。わたしは何か崇高なことを考えられる人間ではない。非常に世俗的な、なんら普遍的でないことで悩み、苦しみを覚え、死への思いをひそかに増幅させているだけである。
だがやはり、描き取られたくはないのである。せめて、あと一年の内に起こりうるであろう、世間から認められるだけの成果を待ってから死にたい。いや何が「起こりうる」だ、自殺を臨み見るくらいの人間というだけあって、大した能力もないではないか。もはやわたしの生活は、社会との関係を切除された、唯死への思いだけが堆積されるアルゴリズムとしての構成を内に規定することを余儀なくされた、地にも天にも足のつかぬ宙ぶらりん、――さあはたして、面白く読んでいただけたであろうか。べつに洒落だと言って締めくくるつもりは、毛頭ない(冴えない新聞の切れ端のコラムのようになって反吐が出そうだ。気持ちの悪い内容を述べること、稚拙な技巧に走ること、止めよ。直ちに息の根を潰したまえ)。
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2010/03/23 16:13 | Comments(0) | TrackBack(0) | 未選択

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