環境は悲劇だった。
わたしは以前、高校で出会う人がそれまで出会ってきた人と性質を異にしていることについて書いた。彼らの会話は可笑しい。自分の言いたいことを言って、何も思いつかなくなれば口を閉ざす。その口を閉ざす瞬間、顔には一寸の気まずさを認めることが出来る。
そこまでして人と話すのには無論訳がある。彼らは、自分を守るために会話をする。会話をして定量の関係を保つことで、自分の立場の様なものを確保するのだ。会話をしなければ自分の立場が危ぶまれ、その空間内での自分の居場所を見失うことになる。そうした状況を恐れるが故に彼らは、実際は求めてもないのに人と会話をし、したくもないのに相手に質問をする。悲しいことに、そんな会話の形式性を、私は知ってしまった。
自分が可愛いから、人を利用し、自分を守る。
さらに私は、それ以上のことまで知ってしまった。
決して信じたくなかった。
その形式性は、高校だけに留まるものでなかった。
中学の頃の知人やその他の知人に会う度に、私はそれを認めてしまう。殆どが、相手を心から大事に思っているなどあり得ない。自分が大事だから人と接している。結局は自分の居心地のよさを求めたいだけだ。
どうやら私も、道具として利用されているに過ぎなかったようだ。
今日、1人たびで、たまプラーザに行った。
サインちょうをかった。
そのあと、ぶらぶら歩いて、うちのガンタよりちょっと大きいミドリガメがペットショップにいた。
帰ろうとしたとき、サンジェルマンで、シュークリームパンのいちごのやつをおみやげとして帰った。
きっと、おみやげを家ぞくのために買うのは、これが最初で最後だろうとぼくは思った。
あと、お兄ちゃんにマンガを買ってもらいうれしかった。
はたして高校に友人と呼べる人物はいるのだろうか。
最近になってやっと、中学の頃と何が違うかが見えてきた気がする。つまり、中学には無かったが、高校になって急に発生しだしたものの正体、自分を苦しめる存在のかたちが分かってきたのである。その存在は、恐らく私が高校で出会う人の性質が主に作り出すものである。
彼らは周囲との関係を等閑にしている。彼らと話してみれば一聞瞭然。彼らと歩いてみれば一目瞭然。話す内容はすべて先生の話、授業の話。自分の身の上なんか話したがる者はいない。身の上を話すかと思えば、一寸空気を気遣ったような面白い思い出話。覚えていることが出尽くしたら、もう会話は御仕舞い。話すだけ話したら、一気に気のまずい顔に変わって冷めたようになる。はやく別れる時間がこないか、などという思いに駆られているのだろう。だから別れ際になると、とても彼らはあっけない感じで去ってしまう。たとえば帰りの方向が違うからという理由何かは非常にしめたものらしい。そのような外的要因が与えられれば、無理に絞り出していた話の内容を口にする必要もなくなり、ただ粗末な別れの言葉でとり繕ってしまえばそれで済んでしまうのである。
そのように分かりきった彼らの性質が厭わしくて仕方ない。何故あんなにも彼らは関わりを避けようとするのだろう。もう小学校や中学校で誰かと関わりをつくったから、もう要らないと云うのか。この学校ではただ学問に徹していればいいと思っているのか。
そんな者たちに囲まれ、私もそのような人種になってしまうのが恐ろしい。現在の自分を保っていかねばならない。
今日、すごーくゆきがつもった。
20cmぐらいつもって、かまくら(まえよりも大きく)つくった。
昼からは、友だちとゆきのすべりだいや、ゆきがっせんもした。
あそんだあとプールに行ったら、ぜんぶのきゅう(3時間目)のせいとをあわせてたったの15人で、とくじょうきゅう(ぼくのクラス)で男3人女2人のたったの5人だった。
先生は、ばけつの半分くらい雪を入れ、およいであつくなったときは、ゆきをすはだにつけました。
すごく楽しい一日でした。
今日、こりょうぎょこうに行った。
昨日行った海よりも、きれいだった。
ナミノコ(貝)や、スナガニ、チョロチョロがにが、いた。
りょうをしたふねは、まだこないから、いったん車で帰った。
一時間ぐらいして、またぎょこうに行った。
りょうをしたふねは帰っていた。
りょうをしてる人が、おさけをのんでいた。
そこで、さかなのにたやつとか、しおやきをもらった。
ジュースも。
じんちゃんは、ビールをのまされて、かおがあかくなってた。
それで、かえった。
たのしかった。