私はいま森へ来ている。
その森はなかなか広い。どれほど歩いても同じような景色にしかあたらない。木の位置関係が、先ほどと変わってない気がするのは実際にそうであるからなのだろうか。
私は今ひとりである。今と言ったのは、以前まで彷徨を共にしてくれる者がいたからである。始めは多くの連れがいた。しかし、この森の中へ入ると急に彼らの多くは姿を消した。消えずに残った者も勿論いたが、そういう者も森の中を行く途中でいなくなった。彼らは決して私とはぐれた訳ではなかった。私の目の前で彼らは、森へと溶けて同化してしまったのだ。
それでも私は稀に生身の人間と出会う。そういう類の人間は、私を気遣ってアドバイスをする。気の利いたやつは森の道を教えようとする。しかし私はどうも、そんな者たちを信じることが出来ない。何故なら、彼らとはたまたま会ってしまったのに過ぎないからだ。偶然の再会で彼らは、気まずさを避けるためだけに言葉を発しているのである。その証拠に、彼らは助言の際に私を知ろうとしない。私の性質の表面を適当にさわって、つまらないことを言うだけだ。ひどい時には、さわった性質でさえも参考にしない。私の話を聞く体裁をとって、話の途中でとんでもなく能天気なアドバイスをする。がんばればみちはひらけるよ、などと言って誰を慰められると思っているのか。ひとはなやみくるしみせいちょうするものです、などには殺意を覚える位である。そんな勝手に掲げた人の定義だか何だかに押し込もうとする者に対して、私はあやめたいという感情しか芽生えない。
彼らは面倒なことは嫌いなのだ。だから再会は無かったら無かったでよいと本気で思っている。私がそんなふうに捉えた瞬間、彼らもまた森へと同化してしまった。
そんな具合にして、私は多くの人間を失った。仲が良かった友人も、私を20年近く育ててきた父や母も、みんな森に溶けてしまったのだ。
その深遠な森から、私は抜け出せない。
森の中で私の出来ることは、あまり多くないのだろう。そして、その限られた選択肢に幸福なそれは、決して含まれていない。